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2013/03/09

端四国八十八カ所 亀蔵の墓のある白村堂

5月かと思われるような陽気の3月9日。
端四国八十八カ所 十四番霊場白村堂を訪れました。先日満願しての再訪。
白村堂1

地蔵菩薩が祀られています。
白村堂2

黄砂で遠くが霞みます。吉野川を見下ろす高地にあります。
白村堂4

ここ数日の暖かさで、ミツマタが花を開いています。
白村堂3

傾斜地に集落があります。
白村堂5

端四国の創立は明らかでないが、貞光谷見聞録に、文政年間東端山白村の亀蔵なる人が順番を正して中興し天保九年(1838年)に整備したという。
と伝わりますが、この亀蔵なる人のお墓があります。
白村堂6

お墓の上には、明見神社。他の神社に合祀されてるようです。
白村堂7

白村堂8

なんともいい景色です。
亀蔵なる人はこのあたりで200年ほど前に暮らしていたのでしょうね。
白村堂9
春の端四国参りの季節が訪れたにし阿波暮らし。美しい景色が楽しめます。

端四国八十八カ所一覧はこちら → 端四国八十八カ所まとめのページ

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コメント

非公開コメント

亀蔵さんの墓はこんなだったんですね。
祠や案内板は決して古いものではなさそうですが今もちゃんとシキミが供えられている。

端四国八十八ヵ所を整備したといわれる亀蔵さんも信仰心の厚いすばらしい人物ですが、その人を敬って、墓を写真のように守っている人々もすばらしい。

明治年間に端山村の武田浦三郎によって半紙110枚に綴られた「貞光谷見聞録」は「新編美馬郡郷土誌」に一部が抄録されていますが、この「貞光谷見聞録」という名前がなんとも言えず好きです。
調べてみると、武田家は江戸期は美馬郡東端山村の肝煎・庄屋、明治期は端山村村長を勤めた旧家で、つるぎ町に関する数多くの記録を有し、今は1168点の古文書を県立文書館に寄託されているようです。

こんど県立文書館を訪ねた折にはこの武田家文書を少し覗いてみたい気持ちになっています。

「阿波のお堂」の編著者の一人沖田定信さんがいまでもお元気で東福寺名誉住職・東福寺美術館館長として活躍されていることを最近になって東福寺のホームページで知りました。
私が東福寺を訪ねることは、たぶんこれからもない可能性のほうが高いように思うんですが、白うさぎさんはこれまでに何度も東福寺に足を運ばれています。
どころか、ちょうど1年ほど前には沖田定信師の講演も聞かれているようです。
http://nishiawa.blog46.fc2.com/blog-entry-299.html
こんど東福寺を訪ねられたさいは、ぜひ名誉住職さんに著書「阿波のお堂」がすばらしい仕事であったことをお伝えください。
端四国に関しても、東福寺は自身が二十九番の霊場であるだけでなく、二十六番日浦堂から三十七番浦山堂までと三十九番舟木大師堂の管理寺院も兼ねており、端四国の氏堂のことを沖田氏に聞かれてもいろいろと教えてもらえることが多いかと思います。
きっと郷土を愛する者同士の会話には花が咲くと思いますよ。

Re: タイトルなし

阿波狸さんへ

亀蔵さんのお墓、大事にされています。大きなお堂とともに今も。

東福寺さんへは何度も訪れていますが、まだ美術館を見ていませんので、時間がとれるときに、ゆっくり訪れたいと思います。名誉住職さんとお話しできる機会があればうれしいですね。

先日、端四国八十八カ所についての講座があったのですが(講師は東福寺さんではありませんが)、行くことが出来ず、教えていただきたいことが何点かあります。