端四国八十八カ所 四番観音堂
つるぎ町貞光東浦にある、四番霊場観音堂。観世音菩薩が祀られているようです。
ここは、東浦集会所を兼ねた建物になっています。集会所になってからはそれ程古くはないようです。
元はどんなだったのでしょうかね。

ということで、外観は集会所そのものです。

町中にあって、案内表示が無いと気付く人は少ないでしょうね。

ドアのガラスごしに中を拝見すると、畳敷きの部屋に仏間が設けられています。

端四国八十八カ所マップのおかげで、来ることができました。


すぐ隣には二層うだつの町並みが続きます→ にし阿波お勧めビューポイント 貞光二層うだつの町並み
お堂が集会所として地域の暮らしと一体になっているにし阿波暮らし。貴重なものが残っています。
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お堂について、新編美馬郡郷土誌 編集 荒井藍水(昭和30~32年調) から少し紹介
氏堂
剣山周辺の山村には各字に風雅な吹放しの堂があるが、この地方独特のもので外来者の興趣をそそるものであり民俗学上の好材料であろう。里人は単にお堂と云うが(本尊により阿弥陀堂、観音堂と云うたり、また特別の名称としたのもある)氏堂と云うのが本当で、単に堂と云うのでは特色が分からないから編者は氏堂と呼ぶ。
この種の堂は土佐、伊予の山間部にも多少分布しているが、建築様式も多少異なり云うに足らぬ。
氏堂の起源は不明であるが室町時代からあったのでないかと思う。しかしキリスト教禁制による寺請制度によって普及したものと考えねばならぬ。・・・・・
本尊は阿弥陀が最も多く薬師、観音、地蔵などもあり、大抵本尊の他に毘沙門天と不動明王を置き、多いところではその他の諸仏を加え、また弘法大師を別の厨子に納める。・・・・・
氏堂は寺院に所属しているが普通単独に存在し総代があって世話をする。別に小屋を建てて堂守の居る例もある。・・・
氏堂の数 口山20 古宮26 端山25 一宇30 八千代23
(大正初年) 参考書 笠井著四国研究録(四国の氏堂)
ここは、東浦集会所を兼ねた建物になっています。集会所になってからはそれ程古くはないようです。
元はどんなだったのでしょうかね。

ということで、外観は集会所そのものです。

町中にあって、案内表示が無いと気付く人は少ないでしょうね。

ドアのガラスごしに中を拝見すると、畳敷きの部屋に仏間が設けられています。

端四国八十八カ所マップのおかげで、来ることができました。


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お堂が集会所として地域の暮らしと一体になっているにし阿波暮らし。貴重なものが残っています。






お堂について、新編美馬郡郷土誌 編集 荒井藍水(昭和30~32年調) から少し紹介
氏堂
剣山周辺の山村には各字に風雅な吹放しの堂があるが、この地方独特のもので外来者の興趣をそそるものであり民俗学上の好材料であろう。里人は単にお堂と云うが(本尊により阿弥陀堂、観音堂と云うたり、また特別の名称としたのもある)氏堂と云うのが本当で、単に堂と云うのでは特色が分からないから編者は氏堂と呼ぶ。
この種の堂は土佐、伊予の山間部にも多少分布しているが、建築様式も多少異なり云うに足らぬ。
氏堂の起源は不明であるが室町時代からあったのでないかと思う。しかしキリスト教禁制による寺請制度によって普及したものと考えねばならぬ。・・・・・
本尊は阿弥陀が最も多く薬師、観音、地蔵などもあり、大抵本尊の他に毘沙門天と不動明王を置き、多いところではその他の諸仏を加え、また弘法大師を別の厨子に納める。・・・・・
氏堂は寺院に所属しているが普通単独に存在し総代があって世話をする。別に小屋を建てて堂守の居る例もある。・・・
氏堂の数 口山20 古宮26 端山25 一宇30 八千代23
(大正初年) 参考書 笠井著四国研究録(四国の氏堂)
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