つるぎ町貞光の笠仏峠
4月につるぎ町貞光の笠仏峠を訪れました。紹介がちょっと遅くなりました。
笠仏峠は、貞光から一宇へ向かう道であり、また半田へ向かう道でもあり、昔は往来がたくさんあったようです。
峠の石造民俗 発行 徳島県文化振興財団 では
文政八年(1825)の「祖谷山日記」の中で、「笠仏といふところにやすらふ。あるじ茶わんとり出て、茶をもてなす。山里にある玉味噌といふものをこひて、家の前なる菜園のはじかみをかててなめづり、茶をすする、かはりつかはして、玉味噌つつみもてゆく」とあり、当時は茶屋があったことがわかる。
とあります。 祖谷山日記は江戸期の紀行文。
徳島新聞でも以前紹介されてました→ 徳島新聞特集記事
現在の峠です。

石で囲われた祠の中には3体の石仏があります。

今は車道が通っていて昔の峠道を歩く人はいません。

車道から見えます。

峠の少し貞光よりにはこんな石仏もあります。

峠付近からの眺望。昔の人はこんな風景を見ながら歩いていたんですね。

貞光側からこの峠を越えて半田の高清方面へ降りていったのですが、半田側には常夜塔でしょうか、石積みのこれまで見たことない石造物がありました。

満開の桜と合わさっていい風景でした。

歴史ある峠に石造物が残るにし阿波暮らし。今も大事にされています。
場所はここ→グーグルマップ
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笠仏峠は、貞光から一宇へ向かう道であり、また半田へ向かう道でもあり、昔は往来がたくさんあったようです。
峠の石造民俗 発行 徳島県文化振興財団 では
文政八年(1825)の「祖谷山日記」の中で、「笠仏といふところにやすらふ。あるじ茶わんとり出て、茶をもてなす。山里にある玉味噌といふものをこひて、家の前なる菜園のはじかみをかててなめづり、茶をすする、かはりつかはして、玉味噌つつみもてゆく」とあり、当時は茶屋があったことがわかる。
とあります。 祖谷山日記は江戸期の紀行文。
徳島新聞でも以前紹介されてました→ 徳島新聞特集記事
現在の峠です。

石で囲われた祠の中には3体の石仏があります。

今は車道が通っていて昔の峠道を歩く人はいません。

車道から見えます。

峠の少し貞光よりにはこんな石仏もあります。

峠付近からの眺望。昔の人はこんな風景を見ながら歩いていたんですね。

貞光側からこの峠を越えて半田の高清方面へ降りていったのですが、半田側には常夜塔でしょうか、石積みのこれまで見たことない石造物がありました。

満開の桜と合わさっていい風景でした。

歴史ある峠に石造物が残るにし阿波暮らし。今も大事にされています。
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