秋祭りの季節の伊射奈美神社(イザナミジンジャ)
美馬市穴吹町三島字舞中島にある伊射奈美(イザナミ)神社。
10月は各地の神社は秋祭りの季節。この伊射奈美神社も祭りの幟が立っていました。
写真は20日のもの。雨に霞む神社というのも風情があります。

江戸から明治にかけ、藍栽培で栄えた地ということもあるのでしょうか、大きな常夜灯や狛犬が鎮座します。

最近に建て替えられましたが、イザナミの名のつく神社。ここと、美馬市美馬町の中鳥にしかありません。

新しい石碑にこれまでのいわれがが書かれています。
少し紹介
祭神はイザナミノミコトほか
由緒
延暦七年(七八八)に国司の奉幣があったと伝えられている(以上徳島県神社誌)
岡本監輔著「名神序頌」によれば貞観中 (八五九~八七七)に創建されたと
三大実録に貞観十年(八六八)三月十二日 阿波国正六位伊奘再神に従五位下を授くと載す
延長五年(九二七)式内伊射奈美神社に比定
幕藩時代に十二社大権現と称し明治十二年(一八七九)に 十二所神社と称したが昭和になって伊射奈美神社と改めた
応永三年(一三九六)、天文元年(一五三二)など棟札が 収蔵されており応永三年の棟札は穴吹町最古の棟札である など

ところで、この神社の建つ場所は、舞中島地区の中で、一番標高の高い所。
しっかりとした岩盤の上に立ちます。これまでの度々の洪水にも浸からなかったとか。
一番大事な神様を安全な場所に祀ってきた歴史。
美馬町中鳥島の移転前にあった伊射奈美神社の建っていた場所も、その地で一番高い地であったそうです。

吉野川南岸の独特の地層の岩上に本殿はあります。

舞中島地区に人が暮らし始めた歴史とともにあるのでしょうね。
舞中島は、吉野川の洪水の度に浸水があった地。それによって、土地は肥え、藍栽培の適地であった地。

国生みの神話が蘇るにし阿波。
にし阿波の秋は、地域の歴史を感じる季節。
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10月は各地の神社は秋祭りの季節。この伊射奈美神社も祭りの幟が立っていました。
写真は20日のもの。雨に霞む神社というのも風情があります。

江戸から明治にかけ、藍栽培で栄えた地ということもあるのでしょうか、大きな常夜灯や狛犬が鎮座します。

最近に建て替えられましたが、イザナミの名のつく神社。ここと、美馬市美馬町の中鳥にしかありません。

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祭神はイザナミノミコトほか
由緒
延暦七年(七八八)に国司の奉幣があったと伝えられている(以上徳島県神社誌)
岡本監輔著「名神序頌」によれば貞観中 (八五九~八七七)に創建されたと
三大実録に貞観十年(八六八)三月十二日 阿波国正六位伊奘再神に従五位下を授くと載す
延長五年(九二七)式内伊射奈美神社に比定
幕藩時代に十二社大権現と称し明治十二年(一八七九)に 十二所神社と称したが昭和になって伊射奈美神社と改めた
応永三年(一三九六)、天文元年(一五三二)など棟札が 収蔵されており応永三年の棟札は穴吹町最古の棟札である など

ところで、この神社の建つ場所は、舞中島地区の中で、一番標高の高い所。
しっかりとした岩盤の上に立ちます。これまでの度々の洪水にも浸からなかったとか。
一番大事な神様を安全な場所に祀ってきた歴史。
美馬町中鳥島の移転前にあった伊射奈美神社の建っていた場所も、その地で一番高い地であったそうです。

吉野川南岸の独特の地層の岩上に本殿はあります。

舞中島地区に人が暮らし始めた歴史とともにあるのでしょうね。
舞中島は、吉野川の洪水の度に浸水があった地。それによって、土地は肥え、藍栽培の適地であった地。

国生みの神話が蘇るにし阿波。
にし阿波の秋は、地域の歴史を感じる季節。






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