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2015/02/09

祖谷のかずら橋架け替え

三好市西祖谷山村の祖谷川に架かる「祖谷のかずら橋」が、3年に一度の架け替え工事中です。
先日訪れたときの様子。
命綱をつけながらの作業となります。
かずら橋架け替え2

堅いしらくちかずらを柔らかくするため、大釜で蒸します。
かずら橋架け替え3

20分程蒸して、湯気が出てます。
作業は2月16日頃までの予定。
竣工式(3世代渡り初め)は2月23日の予定。
かずら橋架け替え1

ところで、昔、祖谷にはかずら橋はいくつあったのか。
祖谷の語りべ 安徳帝・平家落人伝説
編著者 森本徳
発行者 有限会社祖谷
にまとめられていますので、紹介します。

生保4年(1647)、藩主に差し出した阿波国海陸道度之帳の写し(明暦3年 1657)によると
善徳の橋(長18間 幅5尺 高5間)
今井の橋(長19間 幅5尺 高10間)
下元井の橋(長11間 幅6尺 高6間)
かんほの橋(長9間 幅5尺 高4間)
つくの橋(長12間 幅6尺 高5間)
大宮の橋(長16間 幅5尺 高12間)
いのせ橋(長12間 幅6尺 高5間)
この頃、祖谷には、かずら橋が7つかかっていたことがわかります。

文化12年(1815)編纂の「阿波志」には
今窪藤橋(在今窪名)
栃瀬藤橋(在新居屋)
浦戸藤橋(在若林)
落合藤橋(在落合名)
大宮藤橋(在大久保名)
小祖谷藤橋(在小祖谷名)
下名藤橋(在小祖谷名)
とあり、この頃も同じく7橋かかっていましたが、橋の位置は、多少変わっているのがわかります。

また、寛政12年(1800)にできあがった「祖谷紀行」には
「祖谷に13のかずら橋有、善徳を第一とす・・・」
と13のかずら橋のあったことを示していますが、場所については何も書いておりません。
また、明治20年生まれで、善徳在住であった小野寺善太郎氏(伝太郎氏?)の話が、東祖谷山村誌に、
「日露戦争(1904~1905)のころまでは、次のところにかずら橋がかかっていた。
西祖谷・・・善徳 下名(後田橋) 小祖谷
東祖谷・・・今井 釣井 栃瀬 若林(浦戸橋) 林 落合 九鬼 西山(大宮橋) 
      久保 菅生
以上の13

また、大正8年(1919)ごろには
西祖谷・・・善徳 小祖谷
東祖谷・・・今井 九鬼
の4カ所だけとなり、大正10年(1921)のころには、西祖谷の善徳かずら橋一つだけとなり、他は針金を使った吊り橋に変わってしまった。(大正12年全徳も針金吊り橋ととなった。)
と記録されています。
かずら橋が多くかけられていたのは、1800年前後から1900年前後であることがわかります。また、1600年代には7つくらいかかっていて場所や規模もあきらかです。

なお、善徳かずら橋が復元されたのは、昭和3年3月のことで、当時の池田町長田原作太郎氏の発起で、「祖谷渓保勝会」を組織し、善徳青年団をはじめ、善徳校区の青年団の協力のもとに、新しいかずら橋が誕生したのだといいます。

東祖谷の奥祖谷かずら橋の復元は、女橋が昭和45年3月
男橋が昭和59年3月で、これは、東祖谷山村の事業としてなされました。
かずら橋架け替え4

現在架け替え作業が行われている善徳のかずら橋は、一度鉄線に架け替わったのを、かずら橋に戻したもの。
今のように観光が注目されてない時代に、祖谷の伝統を継承しようと取り組んだ方々はすばらしいですね。
架け替え後の、この春には大賑わいになるでしょう。
かずら橋架け替え5
伝統が継承されています。

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