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2016/08/09

徳島城鷲の門からの風景

徳島市の中心部にある、国史跡徳島城跡。
青石の石垣で造られた堀が目をひくが、見所がいっぱいある。
鷲の門3

徳島城跡の南東方向にある、「鷲の門」。
大きな門で、子どもたちの待ち合わせの場所としてよく使われているようだ。
鷲の門5

とても立派な門。説明の石碑があったので、その文章を紹介する。
徳島城は、天正十三年(1585)に阿波に入国した蜂須賀家正が築城した屋形作りの平山城であった。幕藩時代を通じ蜂須賀家が十四代にわたって居城し、二百八十余年の間、阿波・淡路両国二十五万七千八百石を支配した。
鷲の門は、この徳島城の巽(南東の方向)に位置する表口見付の門で、その造りは脇戸付きの薬医門であった。幕府に鷲を飼うからと申し立て建造したところから鷲の門の名があると伝えられている。
廃藩置県の後、城郭の建造物は取り壊され、唯一残された鷲の門も昭和二十年七月四日早暁の徳島大空襲によって焼失した。
現在の門は、平成九年九月二十七日、徳島市制百周年を記念して、吉井ツルエ氏(徳島市出身)復元寄贈されたものである。
鷲の門

門の内側からの風景。広場となっており、阿波おどりの練習風景をよく目にする。
説明書きにあるように、「鷲の門」という名称は、鷲を飼うということから来ているようである。知らなかったことである。
鷲の門1

鷲の門の前から見る、徳島城の堀。なんといってもこれが徳島城の一番の魅力だと思う。
長い直線の堀。写真を撮っていると、堀脇の道路を走るOL風の服を着た人を見かけた。どんな理由か知る由もないが、この暑い中を走るという、真摯な姿に感動を覚える。
鷲の門4
鷲の門という名称の由来は?知らないことがいっぱいの歴史ある阿波。


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