吉野川第十堰風景
第十堰は、吉野川において石井町と上板町を結ぶようにある。
江戸時代に、徳島城の堀への水量を確保するため、別宮川からの水路を造ったところ、それが洪水で本流となり、元の吉野川の水位低下対策として造られた、強大な堰である。

造った当初は、これほどの川幅はなかったと思うが、江戸時代に造られた巨大な堰である。
大変な工事であったであろう。
この堰の可動堰としての改築が議論になったのが、遠い昔のように感じられる。

のどかな吉野川風景である。
訪れた時には、ルアーでの釣りと思われるが、釣り人が二人ほどいた。
静かな環境は鳥たちのエサ場でもあるようだ。

水をいかに有効に使うか、今も昔も同様である。
ところで、第十堰の第十は、昔の村の名前、第十村からきているようであるが、その第十村は、「大豆」からきているということを、古地図に書かれていると聞いたことがある。石井町あたりは大豆の産地であったのかも。

昔々のことを思い浮かべながら見ていると、サギが優雅に飛んで行く。静かな風景である。

吉野川の歴史遺産は静かな風景とともにある。
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江戸時代に、徳島城の堀への水量を確保するため、別宮川からの水路を造ったところ、それが洪水で本流となり、元の吉野川の水位低下対策として造られた、強大な堰である。

造った当初は、これほどの川幅はなかったと思うが、江戸時代に造られた巨大な堰である。
大変な工事であったであろう。
この堰の可動堰としての改築が議論になったのが、遠い昔のように感じられる。

のどかな吉野川風景である。
訪れた時には、ルアーでの釣りと思われるが、釣り人が二人ほどいた。
静かな環境は鳥たちのエサ場でもあるようだ。

水をいかに有効に使うか、今も昔も同様である。
ところで、第十堰の第十は、昔の村の名前、第十村からきているようであるが、その第十村は、「大豆」からきているということを、古地図に書かれていると聞いたことがある。石井町あたりは大豆の産地であったのかも。

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