白地城 三好市池田町
戦国時代、現在の三好市池田町には、白地城があった。
場所は、今、阿波の抄という宿泊施設があるところ。
河岸段丘の高台にあって、戦いの城としては適地だ。

白地という地名は、泊地に近いのだと思う。
土佐、伊予、讃岐に通じる交通の要衝にある。
吉野川上流方面。

現在も交通の要衝である。

この白地城の城主、大西氏に関するお話を聞けた。
にし阿波の歴史を知る~白地城主大西氏の信仰と交流~
講師は、徳島県立博物館 長谷川さん。
県境に位置する白地城主大西氏は、戦国時代、高知の長宗我部についたり、阿波の三好氏についたりと、歴史に残っているが、この地にあって、自らの生き残りを考えてのことなのかもしれない。
近隣だけでなく、当時の日本の勢力の情報も入手してたのではないか。それが、熊野参詣に繋がることではないのか。
等々、興味深い話を聴くことができた。

戦国時代の武将たちは、生きるか死ぬか、の中で、一族の繁栄を願い、行動してたのだと思う。
長宗我部側に立って、重清城主を殺害するのも、生き残るため。
詳しい歴史資料があまりなく、憶測の部分も多いが、興味深い歴史が残る白地城。

戦国時代の歴史が蘇る地がにし阿波にある。
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場所は、今、阿波の抄という宿泊施設があるところ。
河岸段丘の高台にあって、戦いの城としては適地だ。

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土佐、伊予、讃岐に通じる交通の要衝にある。
吉野川上流方面。

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講師は、徳島県立博物館 長谷川さん。
県境に位置する白地城主大西氏は、戦国時代、高知の長宗我部についたり、阿波の三好氏についたりと、歴史に残っているが、この地にあって、自らの生き残りを考えてのことなのかもしれない。
近隣だけでなく、当時の日本の勢力の情報も入手してたのではないか。それが、熊野参詣に繋がることではないのか。
等々、興味深い話を聴くことができた。

戦国時代の武将たちは、生きるか死ぬか、の中で、一族の繁栄を願い、行動してたのだと思う。
長宗我部側に立って、重清城主を殺害するのも、生き残るため。
詳しい歴史資料があまりなく、憶測の部分も多いが、興味深い歴史が残る白地城。

戦国時代の歴史が蘇る地がにし阿波にある。






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