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2012/03/02

吉野川の渡船 小島渡し跡

明治14年県下には154の渡船場があり、内125は吉野川にあったということです。
現在の美馬市穴吹町小島と脇町岩倉を結んでいた小島渡し。
渡し跡から見る吉野川の風景。
このあたりは、竹林が伐採され見通しのよい風景が広がります。
小島渡し1

吉野川の渡船跡にはこのような史跡の石柱が立っているところがあります。
小島渡し2

渡船の後は、潜水橋が架かってましたが、現在は抜水橋(ばっすいきょう)が架かっています。
渡船は何か風情がありますが、吉野川流域に暮らす人々にとっては、橋が一刻も早くほしかったのだと思います。
昭和24年5月17日に、この小島渡船で悲劇がおこってます。美馬町芝坂小学校の生徒が小松島港見学のため渡船に乗って国鉄駅のある小島へ向かう途中岸まであと数メートルのところで浸水し、10人が水死しました。
小島渡し3

そして潜水橋になり渡船は無くなっていきました。
潜水橋でも転落事故がおきていました。
そんな歴史を持って現在の橋になっています。
写真は小島の風景。堤防上はジョギングにうってつけとなっています。安全な暮らしが一番ですね。
小島渡し4

次の写真は小島渡船の吉野川北岸側の岩倉別所。
同じように石柱が立っています。
小島渡し5

河川敷は牧草地となっています。
もう少しすれば菜の花で黄色い絨毯となります。
小島渡し6

自然は雄大で美しくもあり脅威でもあります。
楽しいこと、悲しいこと、いろんな歴史があって現在の暮らしがあります。
小島渡し7
渡船跡の吉野川の風景を見てるといろんな想いが湧き起こります。
吉野川の歴史がところどころに表れるにし阿波暮らし。春の吉野川風景は魅力です。

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新編美馬郡郷土誌 編集 笠井藍水 昭和30~32年調 から抜粋
学童の水死
昭和二四年五月一七日、郡里町芝坂小学校四、五、六年の児童約九〇名が先生数名に引率され、小松島へ旅行に行くため早朝集合し小島渡しに行き、全生徒が一隻の船に乗り込み吉野川を渡った。
向岸にほとんど接近した際舟の東側から浸水して傾斜したため多数の児童が河中に陥ったり飛び込んだりして大騒動となった。付近の船頭などが溺れる児童を引き上げ多数を救助したが結局一〇名の死者をだした。
(四年生七人、五年生三人)

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コメント

非公開コメント

No title

昨年から毎日このブログを見る楽しみが増えた徳島市在住の男性です。
にし阿波エリア(古代の美馬郡エリアですね)にはほとんど足を踏み入れないんですが、このブログを見ているだけで私も脇町に暮らしているような錯覚におちいります。

小島渡船で昭和24年にそんな悲しい事故があったことなどこのブログを読むまで知りませんでした。
これからもきれいな写真と控え目でいてふかみのある文で読者を楽しませてください。

Re: No title

阿波狸さんへ

コメントありがとうございます。
にし阿波の風景や物語に感心を持っていただきとてもうれしいです。
これからも稚拙な写真と文章ですが、にし阿波の魅力をお伝えしようと思います。
にし阿波(古代の美馬郡)は古くからの歴史が、開発を免れたとうこともあってたくさん残ってます。
お堂なんかは魅力の代表選手かなとも思います。
春の桜の季節は特に素晴らしいですよ。