吉野川洪水対策としての水防竹林の歴史

東みよし町のぶぶるパークみかもは、綺麗な芝生広場があり、サッカーやパークゴルフを生徒や地域の人が熱心に行っている。

その一角に、大きな石碑がある。
何が書かれているか読んでみると、地域の水防竹林の歴史だ。
明治32年7月に大洪水によって、甚大な被害があり、当時の村長は堤防建設を陳情するが叶わず。
次善の策として水防竹林の造成を計画。
明治34年、関係住民の賛助金と奉仕により竹苗を植え始める。
大正時代になって効果を発揮。洪水で田畑が冠水しても竹藪で流れが弱まり、浸水しても被害は少なくなる。

平成13にこの地域の吉野川堤防が完成し、竹藪が堤防に変わっている。

この辺は竹藪だったのであろう。
吉野川の竹藪の歴史がわかる貴重な資料だ。






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