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2012/06/27

美馬町中鳥島と水辺の楽校

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、いやしき、人の住ひは、世々を経てつきせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は希なり。或は去年焼けて今年作れり。或は大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わずかにひとりふたりなり。朝に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。(方丈記 鴨長明)

美馬市美馬町の吉野川の川中島 中鳥島を美馬町側から眺めます。
雨が続き、吉野川の水量は普段より多いです。
昔はたくさんの人が暮らしていた中鳥島は、今は島のほんの一部が川の中に残るだけとなっています。
そして古代から流れの絶えることのない大河吉野川。
この風景をながめていると、こんな文章を思い起こします。
水辺の楽校1

世の移り変わりですね。
河川整備により、中鳥島であった場所は、水辺の楽校として公園になっています。
真っ赤なあじさいが咲いていました。
水辺の楽校2

もっと昔は、現在川の中に残っている島あたりは、つるぎ町半田に繋がっていたようで、中鳥島にあった伊射奈美神社の氏子さんには半田の方がおいでます。
その氏子さんも歴史ある氏子さんだと思いますが。
水辺の楽校3

島の形を変え、堤防を整備し、吉野川の洪水の心配がなくなりました。自然の驚異に対する人間のささやかな対処です。それでも地震や想定を超える大雨には対処できないかもしれません。
水辺の楽校4

自然の中で活かされている私たちは、水に浮かぶつかの間の泡のような存在かもしれません。
つかの間の人生、悔いのないように生きて行ければと思います。
紫が美しい花が植えられています。
水辺の楽校5

散歩されたり、サイクリングされたりしてる方を見かけました。
川の流れを見て物思いに耽ってみたり、散歩やジョギングで体を動かしてみたりと、のんびりと心と体をリフレッシュするのに最適な場所です。
水辺の楽校6
吉野川を身近に感じられる場所があちこちにあるにし阿波暮らし。川を眺めるのも楽しい時間です。

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コメント

非公開コメント

ネットにこんな記事がありました。
http://www.maff.go.jp/kinki/seibi/midori/jigyou/yamatokii/trivia/nature03.html
むかし、フェリーで和歌山港に上陸し紀ノ川沿いに奈良県に入り大阪・淡路島経由で徳島に戻るという出張をしていたので、徳島の吉野川と紀ノ川(奈良県の吉野川)が似ていることはよくわかります。
ときに「あれ?ここは徳島だっけ?」と錯覚してしまうほど河川とその両岸の風景が似ているんですよ。

同じサイトの他のページに河岸段丘のことが書かれていましたが、徳島の吉野川でもおなじみ過ぎる地形ですよね。
http://www.maff.go.jp/kinki/seibi/midori/jigyou/yamatokii/trivia/nature04.html

Re: タイトルなし

阿波狸さんへ

よく似てますね。
東西に流れる川というのも日本では少なく、太陽の位置によって変化する川の美しい風景も見られるのですね。

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