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2012/07/25

端四国八十八カ所 七十一番中熊上堂

つるぎ町半田中熊にある七十一番霊場 中熊上堂。
とても見晴らしのいいところにあります。
中熊上堂1

お堂には地蔵菩薩が祀られています。
中熊上堂2

案内表示は七十番となっていますが、マップに合わせて七十一番としておきます。
中熊上堂3

半鐘が吊られています。
お堂も凝った建築ですね。
板壁とガラス戸が入れられ、外は縁側となっています。これまであまり見てない造りですね。
中熊上堂4

お堂の境内からの眺め。とても見晴らしのいい場所です。吉野川方面の眺め。
中熊上堂5

中熊の谷を挟んだ向かい側は、東みよし町の大藤集落です。ここには七十二番十輪寺があります。
大藤集落の上の高原が水の丸です。
中熊も大藤も標高の高い斜面にあって、まさに天空の集落ですね。
高いところの苦手な私なんかは、眺めが良すぎて車の運転もついついこわごわとなってしまいます。
中熊上堂6
眺めの良い天空集落があちらこちらにあるにし阿波暮らし。お堂から絶景が見られます。
場所はここ→ グーグルマップ


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コメント

非公開コメント

これまでも引用させてもらっている「阿波のお堂」にはお堂の年中行事が数多く紹介されていて、知識のない私にはこれがとても面白い。
ひとつだけ紹介。
平安末期の武将斉藤実盛は木曾義仲追討の篠原の戦いで馬が稲の切り株につまづいて倒れたところを討ち取られた。
そのため実盛の怨霊は害虫となって稲を食い荒らすようになった。
このように害虫の発生は実盛の悪霊の仕業と信じ、農民は部落を上げてお堂に集まり、僧侶と共に念仏し、酒食を共にした後、おふだを貰って帰り、畑に立てたり、行列して部落境まで行進して虫を追放した。
これを虫送り、虫祈祷というんだそうです。
こんな風習があったことはこの本で初めて知りました。

斉藤実盛は篠原の戦いでの死期を覚悟し「若々しく死にたい」と白髪を染めて出陣。
そのため首実検でもなかなか実盛とわからなかったが、木曽義仲が首を付近の池にて洗わせたところ見る見る髪が白くなり実盛と判明。
幼き日の命の恩人を討ってしまったことに義仲は号泣する。
――との話は「平家物語」でも「実盛最期」として取り上げられつとに有名です。
が、乗っていた馬が稲の切り株につまづいて転倒、怨霊の害虫(ウンカのことを実盛虫というそうです)になるなんて話が百姓レベルの間で広範囲に広がっていたというのはとても面白い。

端四国のお堂関係では端山の長木堂(17番)、広谷堂(18番)、中山堂(16番)、また一宇村各地のお堂でも虫送りが行われていたそうです。

Re: タイトルなし

阿波狸さんへ

農民にとって作物が収穫できるかどうかは生死にかかわる最も重要なことだったのですね。
そんな時代に、祈りに頼るほかないということが、いろんなことであったのかもしれませんね。