つるぎ町半田の石堂神社とブナの木
つるぎ町半田の三加茂との境、日浦にあります。山の頂上と思われる場所です。
現在の本殿は明治二四年の建立。天神七代、地神五代の神を祀る。

最古の棟札は安政三年(1856年)。

狛犬の奥に鎮座するのは随身像。(以下阿波学会総合学術調査から)
県下に数多く随身像が確認されているが、半田町の随身像は特異な安置形態・形状をしている。随身像とは仏教寺院にある仁王門の仁王にならったものといわれ、神社の境内の入り口にある門に随身姿の神像を置いた。その門を随身門と言い、この二神を「かどもりのかみ」「かどのおさ」と称し、俗に矢大臣・左大臣といっている。
随身とは、中世の貴人が外出するときに、護衛として従った近衛府の舎人のことで、武官の用いる冠をつけ、矢を背負い武器をもっている。また随身像は座像が圧倒的に多く、まれに立像も見られる。
半田町の随身像は、撫養石で造られており、その全てが座像であり雨さらしで二神が向かい合って安置されている。かどのもりかみ・矢大臣は右足を、かどのおさ・左大臣は左足をそれぞれ膝の上にのせているのが特徴である。

大きな百度石。

どこかに使ったのがはがれたのでしょうか。

林の中には祠が。

合祀されている神社。広い境内です。

向こう側から見ます。

剣神社も祀られています。

大きなブナの木があります。
徳島県では標高1000m以上のところにあるようですが、

ここのブナの木は標高460mの最下位記録。

廻りに人家も無く、とても静かな山の上にあります。
大きな神社が山中の山の上にあるにし阿波暮らし。魅力ある神社が継承されています。
場所はここの隣→ つるぎ町半田 高千穂神社からの眺望 眼下では防災訓練
高千穂神社は石堂神社の摂社で、このあたり全体が石堂神社のようです。
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現在の本殿は明治二四年の建立。天神七代、地神五代の神を祀る。

最古の棟札は安政三年(1856年)。

狛犬の奥に鎮座するのは随身像。(以下阿波学会総合学術調査から)
県下に数多く随身像が確認されているが、半田町の随身像は特異な安置形態・形状をしている。随身像とは仏教寺院にある仁王門の仁王にならったものといわれ、神社の境内の入り口にある門に随身姿の神像を置いた。その門を随身門と言い、この二神を「かどもりのかみ」「かどのおさ」と称し、俗に矢大臣・左大臣といっている。
随身とは、中世の貴人が外出するときに、護衛として従った近衛府の舎人のことで、武官の用いる冠をつけ、矢を背負い武器をもっている。また随身像は座像が圧倒的に多く、まれに立像も見られる。
半田町の随身像は、撫養石で造られており、その全てが座像であり雨さらしで二神が向かい合って安置されている。かどのもりかみ・矢大臣は右足を、かどのおさ・左大臣は左足をそれぞれ膝の上にのせているのが特徴である。

大きな百度石。

どこかに使ったのがはがれたのでしょうか。

林の中には祠が。

合祀されている神社。広い境内です。

向こう側から見ます。

剣神社も祀られています。

大きなブナの木があります。
徳島県では標高1000m以上のところにあるようですが、

ここのブナの木は標高460mの最下位記録。

廻りに人家も無く、とても静かな山の上にあります。
大きな神社が山中の山の上にあるにし阿波暮らし。魅力ある神社が継承されています。
場所はここの隣→ つるぎ町半田 高千穂神社からの眺望 眼下では防災訓練
高千穂神社は石堂神社の摂社で、このあたり全体が石堂神社のようです。






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コメント
http://blog.goo.ne.jp/amg1127/e/8195bcbec397c23745ad0c1e069891ea
2012-09-04 21:33 阿波狸 URL 編集
Re: タイトルなし
魅力的な石堂山、このブログでいつか紹介してみたいと思ってます。
2012-09-05 05:27 白うさぎ URL 編集