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2013/02/14

端四国八十八カ所 まとめのページ

端四国八十八カ所一覧
(札所名等をクリックするとブログ記事にリンク)
 札所名        住所              
1  薬師堂      貞光江ノ脇
2  地蔵堂      貞光東浦       
3  姫子(みこ)塚  貞光東浦
4  観音堂      貞光東浦
5  西浦観音堂    貞光西浦
6  真光寺      貞光西浦
7  西山大師堂    貞光西山
8  折目堂      真光寺に合祀
9  十王堂      貞光辻
10 (広原)観音堂  貞光大坊
11 阿弥陀堂     貞光別所
12 岡堂       貞光岡
13 大泉堂      貞光大泉
14 白村堂      貞光白村
15 捨子堂      貞光捨子
16 中山堂      貞光中山
17 長木堂      貞光長木
18 薬師堂      貞光広谷
19 辻の堂(平野堂) 貞光平野
20 観音堂      貞光家賀道下
21 西福寺      貞光家賀道上
22 家賀上の堂    貞光家賀道上
23 三木栃堂     貞光三木栃
24 川見堂      貞光川見
25 川見ノ津堂    貞光川見ノ津
26 日浦堂      貞光日浦
27 宮平堂      貞光宮平
28 長瀬堂      貞光長瀬
29 東福寺      貞光木屋
30 吉良堂      貞光吉良
31 吉良上堂     貞光吉良
32 横野堂      貞光横野
33 木屋堂      貞光木屋
34 皆瀬堂      貞光皆瀬
35 竹屋敷堂     貞光竹屋敷
36 引地堂      貞光引地
37 浦山堂      貞光浦山
38 (天狗岩)観音堂 貞光浦山
39 舟木大師堂    貞光浦山
40 丸山庵      貞光西山
41 西崎庵      半田西崎
42 中薮庵      半田中薮
43 (小野)鬼門庵  半田旭
44 堂面庵      半田敷地
45 かいけ庵     半田逢坂
46 神宮寺      半田東久保
47 上ノ原庵     半田東久保
48 東地上堂     半田東久保
49 東地堂(法音堂) 半田東久保
50 間ノ浦堂     半田間ノ浦
51 堂目鬼(どうめき)庵 半田黒石
52 黒石堂      半田黒石
53 高岩堂      半田高岩
54 下竹堂      半田下竹
55 東養寺      半田日開野
56 (川又)観音堂  半田川又
57 (青野)阿弥陀堂 半田青野
58 下尾尻堂     半田下尾尻
59 奈良堂      半田坂根
60 観音堂      半田上蓮
61 折坂堂      半田折坂
62 井ノ浦堂     半田上喜来
63 多聞寺      半田上喜来
64 (千本杉)四足堂 半田日開野
65 下喜来(観音)堂 半田下喜来
66 佐古戸塚     半田佐古戸
67 葛城堂      半田葛城
68 (紙屋)四眠堂  半田紙屋
69 岡見堂      半田紙屋
70 中熊下堂     半田中熊
71 中熊上堂     半田中熊
72 十輪寺      東みよし町三加茂大藤
73 猿飼堂      半田猿飼
74 白石観音堂    半田白石
75 白石庚申堂    半田白石
76 曽我茶堂     半田曽我
77 曽我谷堂     半田曽我谷
78 平良石堂     半田平良石
79 大床堂      半田大床
80 (蔭)観音堂   半田蔭名
81 日浦栗尾堂    半田日浦
82 山崎堂      半田井川
83 於安御前     半田西山
84 西山庵      半田西山
85 西地庵      半田西地
86 田井井黒庵    半田田井
87 石花(端)庵   半田田井
88 赤目庵      半田松生

端四国八十八カ所マップ

端四国八十八カ所について
新編美馬郡郷土史(昭和30年~32年調)編集者 笠井藍水に書かれているのを紹介
四国八十八カ所を小地域に模擬したのを新四国といい、各寺院の裏山に設けたものが多いが、最も規模が多きいのが端四国。総里程二十三里。巡礼日数五日内外。時期は旧三月節句から二十一日頃まで。その間におよそ五、六百人の巡礼があるという。
端四国の創立は明らかでないが、貞光谷見聞録に、文政年間東端山白村の亀蔵なる人が順番を正して中興し天保九年(1838年)に整備したという。とあります。また、巡礼の接待の様子も書かれています。

お接待
その様子が、新編美馬郡郷土誌 編集笠井藍水(昭和30~32年調)にかかれていますので紹介します。昭和30年頃の様子だと思います。
視察記
旧三月二十一日にお参りも多くお接待があると云われるので、当日昼前から見学に行った。
貞光東浦の地蔵堂(二番)では三人の婦人がお接待に出ている。これは、十四、五軒連合で各自百円程度の菓子かアラレ、イリ豆など提供したものを半紙に包んでいたが、まだ参拝者が一人も来ない。それから一番の江ノ脇薬師へ行くと、三、四人の婦人がお接待に来ておる。此処では各人別々にするようで、一人はイモ団子をモロブタに一杯、一人は親イモ(里芋)の四つ切りを籠に一杯、もう一人は五円貨幣を一個わてくれる。私にも早速お接待をくれた。ここで二時間ほど座り込んでいたが数組の参拝が来ただけで案外さびしかった。それも大抵貞光の人であった。なお、夕方には万福寺の僧が来て護摩を焚くと云う。


お堂について
新編美馬郡郷土誌 編集 荒井藍水(昭和30~32年調) から少し紹介
氏堂
剣山周辺の山村には各字に風雅な吹放しの堂があるが、この地方独特のもので外来者の興趣をそそるものであり民俗学上の好材料であろう。里人は単にお堂と云うが(本尊により阿弥陀堂、観音堂と云うたり、また特別の名称としたのもある)氏堂と云うのが本当で、単に堂と云うのでは特色が分からないから編者は氏堂と呼ぶ。
この種の堂は土佐、伊予の山間部にも多少分布しているが、建築様式も多少異なり云うに足らぬ。
氏堂の起源は不明であるが室町時代からあったのでないかと思う。しかしキリスト教禁制による寺請制度によって普及したものと考えねばならぬ。・・・・・
本尊は阿弥陀が最も多く薬師、観音、地蔵などもあり、大抵本尊の他に毘沙門天と不動明王を置き、多いところではその他の諸仏を加え、また弘法大師を別の厨子に納める。・・・・・
氏堂は寺院に所属しているが普通単独に存在し総代があって世話をする。別に小屋を建てて堂守の居る例もある。・・・

氏堂の数 口山20 古宮26 端山25 一宇30 八千代23
(大正初年) 参考書 笠井著四国研究録(四国の氏堂)


阿波のお堂 
編著 沖田定信
発行者 阿波のお堂の風俗研究会 
DSCF1774_R.jpg
県内のお堂が紹介されていますが、昭和56年調査によると、県西部にお堂がとてもたくさんあるのがわかります。

あとがきの冒頭を少し紹介します。
 私の地域では、その集落の人情を知るには「その集落の堂営をみてこい」という言い伝えがある。このことは、堂または神社が立派に管理されているか、あるいは、放置され荒れはてているかによって、そこに住している人々の神仏への崇敬心、宗教心あるいは地区住民の協調性をうかがうことが出来るということである。
 お堂は、先祖供養が行われたり、五穀豊穣、病気平癒、息災延命、悪病除け、虫送り、雨乞い等の祈祷が行われ、これからの宗教行事や、娯楽、集会など地域住民の共同の行事が行われる場で、地域住民の共同体意識の中枢的役割を果たしている。
 ・・・・・・・



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コメント

非公開コメント

まだブログで紹介されていない霊場もかなり少なくなってきましたね。
(2012年9月11日現在。ブログで霊場を取り上げる度このページとのリンクが増えて黒い字が減ってゆくでしょうから投稿日時を明記しておきます。)

2013年には結願(けちがん)しますね。

四国八十八ヵ所巡礼だと〆に高野山にお参りしたりしますが、阿波狸の要望としては、端四国巡礼結願の折にはぜひ白うさぎさんに第十四番白村堂横にあるという亀蔵さんの碑に報告してもらいたいです。

いろいろな事情から本当の八十八ヵ所を廻れない人々のために文政・天保年間に十年以上をかけて端四国霊場を整備(再整備?)した亀蔵さんはきっと白うさぎさんの行為を喜んでくれますよ。

Re: タイトルなし

阿波狸さんへ

今年中に結願できるかなと思ってましたが、少し厳しくなってきました。
まとめのページを作ったので目標がわかりやすくなりました。

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